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冬、庭や公園の茂みからよくチッチッという音が聞こえてきます。あれはウグイスがささなきをしているのです。
『広辞苑』では、ささなき【小鳴き・笹鳴き】を「冬に、鶯の鳴き声がまだ調わず舌鼓を打つように鳴くこと」と説明しています。
そこで調子外れの私の拙い随想を「ささなき通信」と題して載せていくことにしました。


森岡孝二のブログ随想
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鴬の身を逆さまに初音かな?
昨年の12月半ばから今年の1月末まで体調を崩して入院していた。いまは社会復帰し元気に過ごしている。とはいえ、この間にたまった仕事をこなす必要に追われ、結局、このブログも半年以上更新できなかった。

今年は3月に初めてバーディングに出かけた。そのなかで、印象に残ったのは春にはめずらしくないメジロウグイスである。メジロは万博公園の梅園の梅の小枝で身を逆さまにして蜜をすっている姿が愛らしかった。ウグイスは家の近くの淀川の河川敷の栴檀(せんだん)の枝に留まり、調子外れにさえずっていたくちばしの動きが面白かった。

メジロのあとにウグイスを見て、横溝正史の『獄門島』に出てくる其角の次の句を思い出した。
     
   鶯の身を逆さまに初音かな

これはメジロをウグイスと見間違えたか、あるいは見もせずに想像で実際にはするはずのないウグイスの姿を詠んだか、どちらかではなかろうか。理由はいくつかある。

(1) よく「梅に鶯」というが、花札の図柄にある梅に留まったウグイスはメジロの姿をしていることをみても、「梅に目白」の間違いであろう。

(2) 一般にいわれる「ウグイス色」をしている小鳥は、メジロであって、ウグイスではない。

(3) メジロは梅や椿や桜の花に頭を埋めて蜜を吸うが、虫を食するウグイスは梅や桜の蜜を吸うことはまずない。

ネットにはメジロとウグイスについて私と同じような疑問がいろいろ書かれている。けれどなかには、疑問をもつことに異を唱える意見もある。たとえば、「平群の里の侘び住まい」さんのHPの「ウグイス考」は、「梅に鶯」は「シンボライズされた理想的な日本の春」の表現であるとして、次のように言う。

自然界における観察結果と異なる、あるいは、自然界ではめったに起こらない取り合わせを描いたり、歌ったり、これも人間の創造性、文化なのです。「梅に鶯」「松に鶴」あるいは「鶴は千年、亀は万年」なども自然観察の結果ではありません。それを間違いと言わずに昔の人のあやかる気持ちや縁起をかつぐ気持ちを察してあげましょう。

私は、其角が詠んだ光景が観察によるか、想像によるかは、文化を語るうえでもどうでもいいことだとは思はない。しかし、ネットで議論をしてもむなしいのでこれ以上目くじらは立てないことにしよう。
# by morioka-k | 2008-05-22 00:16 | 自然
葦原のツバメと旅と寅次郎
文月の月が7分ほど膨らんだ頃、ツバメの集団ねぐらで知られる高槻市鵜殿の淀川河川敷に行った。ここは毎年2月の第2日曜日に葦焼きが行われ、春一斉に葦が芽吹き、夏には一面の葦原となる。7月下旬から8月にかけて、この葦原に2万を超すツバメが集結してここをねぐらに南に渡る前の体力を養う。そのことは数年前から知っていた。しかし、毎年うっかりやり過ごし、初めて今年腰を上げた。

家から車で10分ほど走って葦原を見下ろす堤防に着いたのは午後6時40分頃であった。西の空はあかね色にうっすら染まっている。風にゆれる葦原に目をこらしたが、しばらくはツバメの姿は見えなかった。ひょっとしたら移動したか旅立った後かも知れないと思い、引き上げようとすると、月に照らされはじめた葦原にどこからともなくツバメたちが10羽、20羽と連れ立ってヒューと現れて、低くツーイと飛んで、葦の茂みに消えていくではないか。それが十数分続くと、後はコウモリが月光のなかに1、2匹、ヒラヒラと舞うばかりで、ツバメの姿は見えなくなった。

ツバメは4から7月にかけて通常1、2回繁殖し、地域によっては3回子育てをするつがいもいるという。夏に生まれた若いツバメたちも親鳥と一緒に南に渡るとすれば、きっと鵜殿のねぐらに来ているだろう。今年の初夏、大阪府岸和田市の蜻蛉池公園に行った。そのとき、あじさい園の上の池の端で、傾いた葦の枝に留まった4羽の子らに、親鳥が餌を運んでいるシーンを見た。しかし、巣立ちをした子ツバメが親から食べさせてもらうのはしばらくのことで、すぐに独り立ちし、2、3か月もすれば親たちと一緒に何千キロの旅路に就くのであろう。

ツバメの南への旅は「帰る」のか「行く」のか。ツルやハクチョウの春の渡りは北に帰る(北帰行)と言う。日本で子育てをするツバメは、生まれ故郷の日本列島に春帰ってくることを考えると、夏の終わりから秋の初めに「南に行く」と言うべきかもしれない。

山田洋次の寅さんシリーズには「夏になったら鳴きながら、必ず帰ってくるあの燕(つばくろ)さえも、何かを境にパッタリ姿を見せなくなることもあるんだぜ」(第7作 男はつらいよ「奮闘篇」)という台詞がある。記憶にはないが、「夏になったら鳴きながら必ず帰ってくるあの燕さえも、ふるさと恋しを唄っているのでございます」という言い回しもあるらしい。いずれにしても明らかなことは、寅さんのツバメは「南に帰る」のではなく、「ふるさと」の日本列島に「帰ってくる」のである。

しかし、疑問もある。なぜ帰って来る季節は春ではなくて夏なのか。今年6月に藤沢周平の「玄鳥」を取り上げて、「つばめのおとづれは夏の到来を告げるのか」と書いた。そこではツバメが来るのは東北でも春であることを、藤沢小説の舞台とされる山形県鶴岡市の隣町で書かれた丸山薫の「北の春」という詩を引いて示した。

ホトトギスに比べるとむしろ鳴かないツバメがなぜ「鳴きながら」帰って来るのかも気になる。ここは理屈ではなく、語呂や雰囲気が重要であって、股旅の寅さんは沓掛時次郎の「雁が鳴いて南の空に飛んでいかあ」を連想し、旅のツバメにも鳴いてもらっているのかもしれない。

「旅のつばくろ、淋しかないか」で始まる歌(作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:松平晃)がある。この「サーカスの唄」を引くまでもなく、しょっちゅう旅をしている寅さんは、さながらツバメである。さきの台詞では寅さん自身もそう言っている。けれど、寅さんの心情はそう単純ではない。幻の第49作「寅次郎花遍路」ならぬ「四万十川の大休日」(脚本:幡多山正太郎)は、寅さんに、「こちとらはよう、若いカモメやツバメじゃあるまいし、せっせと巣づくりするてえのは性にあわねえや」と言わせている。寅さんは世帯を構えるツバメとは違うというわけである。そう言いつつも、「おお、そうだ。東京の妹や、おいちゃんに電話しなきゃ」と電話を借りに行く寅さん。

ツバメの心情は知りようがないが、旅空の寅さんは淋しいのである。
# by morioka-k | 2007-08-28 20:32 | 自然
そのままにイヌワシたのし伊吹山
8月の初め、連れの運転で滋賀と岐阜との県境にある伊吹山(1,377m)のお花畑を見に行った。このところ根を詰めて仕事をした息抜きとパソコンで疲れた目の保養が目的だった。

伊吹山は新幹線の車窓からよく見ている。マガモとオシドリと逆さ伊吹で知られた三島池から仰ぎ見たこともある。しかし、登ったのは(車だから上った、あるいは行ったというべきか)は今回が初めてである。イブキサンではなくイブキヤマと言うことも初めて知った。

山頂近くの駐車場から上はお花畑と呼ばれていて、春から秋にかけて実に多くの野の花が咲き競う。ちょうど今は夏の花が盛りの時期で、遊歩道の周りの草原では、ルリトラノオシシウドシモツケソウ、オオバギボウシ、カワラナデシコキオンメタカラコウニッコウキスゲなどが出迎えてくれた。

地上ではこの季節にはウグイスのさえずりはほとんど聞けない。けれど、伊吹山の駐車場に着いて最初に聞いたのはウグイスであった。山頂の測候所跡近くで、しきりにいい声がする。振り返ると、連れが指差す先の大きなシシウドの枝にそのボーイソプラノの主が留まっていた。東遊歩道を降りる途中では聞いた「ホーホケキョ」のリズムは、アクセントのせいか「トッポジージョ」と聞こえた。姿こそほとんど見なかったが、ホオジロの「一筆啓上仕り候」というさえずりも何度か聞こえてきた。

往きも帰りも、山頂近くの8合目か9合目当たりで、大型の超望遠カメラを構えている人たちが何人もいた。後でわかったことだが、彼らはイヌワシを撮るために日がな一日三脚を据えて待っているのである。私たちが帰りに見た尾根の上空を舞う黒いタカのような影も、イヌワシだったのかもしれない。

伊吹山はイヌワシの撮影地として有名で、大勢のカメラマンがおしかけ、餌付けするなどマナーが悪い人も多いらしく、滋賀県の環境保護団体では環境庁と連絡をとってイヌワシへの悪影響の防止対策を検討しているという。野鳥写真家の根気には頭が下がるが、探鳥地で出会うアマチュア写真家は人迷惑というより鳥迷惑で私はどうも好きになれない。

伊吹山の上には、「そのままに月もたのまし伊吹山」という芭蕉の句碑があった。解説によれば「伊吹山は月の力などを借りなくても、そのままで立派な山だよ」という意味のようだ。そこで最後に、車で上がった自省を込めて、私の拙いもじり川柳。

そのままにイヌワシたのし伊吹山

(注)イヌワシの写真はEnjoy Wild Birdsからお借りしました。

# by morioka-k | 2007-08-02 19:55 | 自然
ツバメシリーズ余話  「たそがれ清兵衛」の発見
この週末、埼玉県の秩父市に講演に行った。出張や旅行には退屈をまぎらすために何か読み物を用意するが、乗り物では数ページも読まないうちに居眠りを始め、そのまま眠り込んでしまうことが多い。だが、今回は行程が長かったので、携行した藤沢周平『たそがれ清兵衛』(新潮文庫)に収録されている8つの短編を帰宅するまでに読み切った。いずれの短編も山田洋次の表題作と同名の映画を観た頃に読んだはずだが、今度初めて読んだような鮮烈な印象を受けた。それとともに以前には気づかなかった小さな「発見」がいくつかあった。

第1は、生きた鳥が出てこないことである。前回のブログでは、藤沢周平の『玄鳥』(文春文庫)を取り上げ、「つばめのおとずれは夏の到来を告げるか」という拙文を書いた。同書には「鷦鷯」(ミソサザイ)という秀逸な作品もある。にもかかわらず、『たそがれ清兵衛』の8編では鳥は意外に姿を現さない。例外として「日和見与次郎」のなかに、鳥黐(とりもち)竿で刺したというヒワ、モズ、スズメと、「藪の中を走っているのを見つけて仕とめた」というヤマドリが、いずれも死骸として出てくるだけである。

第2は、清兵衛が心の底から妻思いであることだ。映画では妻を労咳で亡くし、二人の娘と老母の世話をしているという設定になっている。しかし、小説では、労咳で臥している妻がいて、清兵衛は下城の太鼓が鳴るや、勘定組の仕事の書類を片づけ、そそくさと家に帰って、食事の支度や介抱をする。上意討ちの命を受けて藩の重要な会議に同席することになったのも、藩命には逆らえないという事情よりも、首尾よく目的を果たせば、病気の妻を名医に診させ、城下に近い湯宿で転地療養をさせてやるという約束を喜んで受け入れたという事情が大きい。それだけに、終わりに、転地先で療養の甲斐あって、顔に艶がもどり、ひとりで歩けるようになった妻を見たときの喜びはひとしおである。

第3は、「たそがれ清兵衛」は1983年から88年にかけて『小説新潮』に発表された藤沢周平の渾名シリーズ8編のうち、渾名の意味や由来の持つ意味がもっとも軽い作品である。他の7編(「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人助八」)は、物語の冒頭から主人公の名前と渾名の由来が書かれているが、「たそがれ清兵衛」だけは、16頁目になってようやく「井口清兵衛」という名前と「たそがれ」という渾名が出てくる。しかも他の7編は渾名の意味や由来がそのまま物語の主題になっている面があるが、「たそがれ清兵衛」の主題は渾名の意味でも由来でもない。主題は伴侶に対する愛情であって、タイトルとしては面白味がないにせよ、内容に即せば、「愛妻家清兵衛」と題することも可能な物語である。

第4は、居眠りを特技とする私の関心から言うのだが、藤沢周平には「居眠り○○」という題の作品がないことである。そう思って読んでいたら、「たそがれ清兵衛」のなかに、「病妻をいたわって仲ようしている」「昼の城勤めではそろばんをにぎって居眠りをすることもある」という話が出てきた。これを誇張すれば「居眠り清兵衛」という題もありえたかもしれない。しかし、さらに読む進むと、5作目の「だんまり弥助」のなかに、「居眠り権兵衛と呼ばれて無能の標本のように言われている」家老が登場する。こうなってはもう、意外な才能を秘めながら、人びとから侮られてきた無名の剣の達人を主人公にした渾名シリーズに、「居眠り○○」は使いたくても使えない。

念のためにネットで「居眠り○○」というタイトルの時代小説がないか調べてみると、佐伯泰英に『居眠り磐音江戸双紙』という近頃売れているシリーズがあることがわかった。主人公の坂根磐音(いわね)は私の郷里の豊後のある藩を出奔した浪人だというではないか。次の旅行ではこれを1冊携えて、居眠りを誘う本か、させない本かを確かめてみたい。
# by morioka-k | 2007-06-24 15:57 | 随想
藤沢周平「玄鳥」の虚実――つばめのおとずれは夏の到来を告げるか
藤沢周平の小説に「玄鳥」という短編がある。ヒロインの路は、家に来たツバメの巣を下男に壊せと命ずる世渡り上手の夫の仲次郎より、父の道場に通って来ていた粗忽者で藩から討手をかけられる身になった兵六に惹かれている。「玄鳥」はそのあたりの感情の機微を巧みに描いた佳作ではあるが、いくぶん秘太刀(隠し剣)ものの趣があって、同じ文庫に収められている「鷦鷯」(ミソサザイ)の清貧の親娘の心に沁みる自然な描写に比べると、読後にどことなく無理な感じが残る。

文春文庫の『玄鳥』の表紙絵には柳に舞うツバメが描かれている。にもかかわらず、私は最近まで「玄鳥」がツバメの漢名だとは知らず、題につられて本を手にすることもなかった。ツバメをなぜ玄鳥と言うかは、『日本鳥名由来辞典』にも定かではないが、おそらく玄という漢字がツバメの「赤または黄を含む黒色」(大辞泉)を意味するところから来ているのだろう。

一読して目に留まったのは、本筋とはさして関係のない、しかし表題にはどうしても欠かせない次の行である。

「つばめのおとずれは季節の風物詩だった。そして長くつめたい冬のあとに来る春が、野山にいっぱい花を咲かせながら、まだどこかに油断のならない寒さをひきずっていたのとは違い、つばめのおとずれは、少しの曖昧さもなく夏の到来を告げる出来事でもあった」。

文庫の解説で、中野孝次が言うように、藤沢周平は「現代のあらゆる小説家の中でおそらく最も自然描写が巧みな作家である」。上に引用した箇所にもその巧みさはいかんなく表れている。だが、まてよ。ツバメは「夏の到来を告げる」鳥なのだろうか。

夏鳥と冬鳥に分ければ、ツバメはむろん夏鳥である。けれど、夏の到来を告げるのはホトトギスであって、ツバメではない。「ツバメQ&A」のQ4の解説によれば、ツバメは九州には2月末から3月初めに姿を現し、近畿から中部にかけては3月中・下旬、東北には4月初めに飛来する。

これは日本ツバメ研究会が20年間(1973~1993年)にわたって、日本各地への飛来日を調べた平均なので、年によって多少は前後する。だとしても半月とは違わないだろうから、藤沢小説の故郷の「海坂藩」(山形県鶴岡市がモデル)でも、遅くとも4月の半ばにはツバメが渡って来るものと思われる。

以前、私の「気まぐれバーディング」で、詩人の丸山薫の「北の春」という詩を取り上げたことがある。「緩みかけた雪の下から/一つ一つ木の枝がはね起きる/……/朝早く/授業の始めに/一人の女の子が手を挙げた/--先生 つばめがきました」。戦後、1945年から49年に、丸山が山形県の岩根沢で小学校の教員をしたときに作ったこの詩は、ツバメが春の遅い北国でも、いや春の遅い北国だからこそ、春を告げる鳥であることを詩っている。なお、鶴岡市の隣の西川町の中央部にあたる岩根沢には丸山薫記念館がある。

「玄鳥」の「つばめのおとづれは……夏の到来を告げる」という行を読んで、一瞬これは春の誤植ではないかと思った。しかし、「冬のあとに来る春が……寒さをひきずっていたのとは違い」と書かれている以上は、誤植の余地はない。それだけに確信的な思い違いというほかはないだろう。
# by morioka-k | 2007-06-05 20:50 | 自然
芭蕉俳句のツバメとホトトギス
前々回は、万葉集ではツバメはほとんど無視され、鳥はホトトギスが好んで歌われたと述べた。そして前回は蕪村と一茶はツバメを愛でたと書いた。今回はその続きで、芭蕉俳句を話題にしよう。

4年前の10月初旬に渥美半島の伊良湖岬にタカの渡りを見に行ったことがある。ここが秋のタカの渡りの名所であることは、平安末期の西行の「山家集」にも「鷹渡る伊良湖」と出てくるほどで、芭蕉も「南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所」(「笈の小文」)と知って、貞亨4年(1684年)の冬に、幽閉中の米穀商で門人の坪井杜国(つぼいとこく)を訪ねている。次の3句はこのとき芭蕉が詠んだものである。

鷹一つ見付けてうれしいらご崎

伊良子崎似るものもなし鷹の声

夢よりも現の鷹ぞたのもしき

さすがと言いたいうまさであるが、実は芭蕉が伊良湖に行ったのは陰暦の11月12日で、今の暦では12月下旬であった。タカの渡りは9月下旬から10月初旬がピークで、なかでもサシバの大群は10月半ばには姿を消す。それを考えると、芭蕉が見たのは渡りをしないミサゴかハヤブサではないだろうか。いずれにせよ、上の3句は、タカの渡りで有名な伊良湖だから詠んだという感じがする。観光地でその土地を誉めて作った詩歌を見ることがあるが、その種の句であるのかもしれない。

ところで本題のツバメとホトトギスであるが、「芭蕉俳句全集」という素晴らしいDBサイトで検索したところ、ツバメの句は次の一つしかなかった。盃を手に桜の花?を見ている上を、南から飛来して巣作りに励むツバメが飛び交う様を詠んだものだと思われる。句の出来の良し悪しは別として、ツバメの句がこれひとつとはいかにも淋しい。

盃に泥な落しそ群燕

他方、ホトトギスの句は芭蕉の鳥の句のなかではきわだって多い。「京にても京なつかしやほととぎす」や 「鳥刺も竿や捨てけんほととぎす」という句は、心に響くところがあって悪くない。しかし、ほかはあまり面白くない。「時鳥(ホトトギス)正月は梅の花咲けり」にいたっては私にはほとんど意味不明である。新潮日本古典集成「芭蕉句集」(今栄蔵校注)をもとにした「芭蕉全句鑑賞」(田中空音)によれば、「時鳥よ。なんと初音の遅いことか。正月には梅の花は時をたがえず咲いたではないか。もう初夏だ、おまえも早くその一声を聞かせてくれ」という意味らしい。そう解釈するとしても、理が勝ちすぎていて情に乏しい。

曙はまだ紫にほととぎす

木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす

京にても京なつかしやほととぎす

しばし間も待つやほととぎす千年

田や麦や中にも夏のほととぎす

鳥刺も竿や捨てけんほととぎす

野を横に馬引き向けよほととぎす

冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす

ほととぎす今は俳諧師なき世哉

ほととぎす裏見の滝の裏表

時鳥鰹を染めにけりけらし

時鳥正月は梅の花咲けり

ほととぎす鳴く鳴く飛ぶぞ忙はし

ほととぎす鳴く音や古き硯箱

ほととぎす鳴くや五尺の菖草

落ち来るや高久の宿の郭公

清く聞かん耳に香焼いて郭公

橘やいつの野中の郭公

郭公招くか麦のむら尾花

(最後の4句の郭公はホトトギスと読む)

ホトトギスの句がつまらないという点で面白いのは、「ほととぎす今は俳諧師なき世哉」という句である。前出の「芭蕉俳句全集」の編者は、この句を「ホトトギスが空を渡っていく。古来、さまざまに詩に詠まれたホトトギスだが、俳諧で詠まれた名句は未だない。まるで俳諧師が居ないみたいだ」と解説している。この句の指摘は芭蕉自身にもあてはまるように思う。
# by morioka-k | 2007-05-02 23:05 | 自然
蕪村と一茶に愛でられたツバメ

前回、「ツバメは冷遇されてき」という駄文を書いた。しかし、俳句では、正岡子規の名前や、高浜虚子の俳誌名にもなっているホトトギスには遠く及ばないとしても、ツバメは季語(燕、玄鳥、乙鳥、つばめ、つばくら、つばくろ、つばくらめ)としてけっこう登場している。以下は蕪村の句である。

花に啼く声としもなき乙鳥(つばめ)哉

大津繪に糞落しゆく燕かな

大和路の宮もわら屋もつばめ哉

ふためいて金の間(寺院)を出る燕かな

つばくらや去年も來しと語るかも

落日の中を燕の帰るかな

燕啼て夜蛇をうつ小家哉

わりなしや燕巣つくる塔の前

つばくらや水田の風に吹れ貌(がお)

飛魚となる子育るつばめかな

細き身を子に寄添る燕かな

ツバメは春を告げる鳥でありながら、これという声で啼かないために歌に詠まれることが少なかったことは前回書いたとおりである。そんなことをあえて言うまでもなく、蕪村の「花に啼く声としもなき乙鳥(つばめ)哉」という句は、桜の花の下でも啼かずに飛ぶところはいかにもツバメらしいと詠んでいる。

子どもの頃、わが家には毎年ツバメのつがいが来て、土間の天井で雛を育てていた。今でもその情景が目に浮かぶ。「油屋」という屋号をもつ大きな家であったわが家でも、「燕啼て夜蛇をうつ小家哉」という句と同じような青大将騒ぎがあった。

2年前は阪急高槻市駅の京阪バス乗り場横のコンクリートの円柱にツバメが巣を作ったのを見た。けれど、昨年はその巣が途中で落ちたか落とされたかした。今年は季節がきても姿さえ見ない。「わりなしや燕巣つくる塔の前」ではないが、いかに泥の巣作り名手でも、凹凸のない円柱に巣材を落ちないようにくっつけるのは、わりない(理無い、どうしようもない)のかもしれない。

一茶はスズメを愛した俳人として知られている。その一茶にも蕪村に劣らず面白いツバメの句がある。

夕燕我には翌(あす)のあてはなき

今来たとかほを並べる乙鳥(つばめ)かな

巣乙鳥(すつばめ)や何をつぶやく小くらがり

紅粉(べに)付けてずらり並ぶや朝乙鳥(つばめ)

乙鳥(つばくら)や小屋の博打(ばくち)をぺちゃくちゃと

ところで、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』(三省堂)のツバメの項には、なぜか蕪村も一茶も出てこない。そのかわり、高浜虚子の「燕のゆるく飛び居る何の意ぞ」という面白くない句が載っている。これはいったい何の意ぞ。

そもそも、ツバメは低く、あるいは高く飛んだりするが、ゆるく飛ぶことはまずない。地面に降りるときや電線などに止まるときや、急にターンするときはスピードを落とす。しかし、そんなときはツバメに言わせれば飛んでいないのである。それは感じ方の違いだとしても、虚子のこの句にはツバメに対する蕪村の細やかな観察も、一茶の温かな慈しみもない。なんと他愛無いことよ。

         (一茶の句は、八木雄二『詩歌探鳥記 鳥のうた』平凡社、1998年より)

# by morioka-k | 2007-04-27 15:55 | 自然
ツバメは冷遇されてきた
満開の桜を見るなら今日しかない。でも、摂津峡や万博公園は人出が多すぎて避けた方がよいだろう。そう思って、4月8日(日)、対岸に桜並木が見える大山崎近くの淀川の河川敷と堤防を歩いた。ここは木津川・宇治川・桂川が合流して淀川になる三川合流地点として知られ、背割堤と呼ばれる中州のなかの堤防には1.4キロにわたって、延々と桜のトンネルが続いている。その桜を桂川を隔てて遠く見晴るかす様はまるで一幅の屏風絵である。

足下の堤防には斜面に黄色い絨毯を広げたように一面に菜の花(セイヨウカラシナ)が咲いている。ふと気づくと、ツバメが次から次へと目よりも低く地面すれすれに土手を巻くように飛んでいるではないか。ネット情報ではツバメが飛来したことを知っていたが、自分の目ではこれが今年はじめてのお目見得であった。

ツバメは毎年、近畿では3月下旬に姿を現し、9月の中旬から10月にかけて南に帰って行く。ツバメは春を告げる鳥でありながら、昔から飛来が待ちこがれられてきたというわけではない。ネットで万葉集を調べると、「燕来る時になりぬと雁がねは国偲ひつつ雲隠り鳴く」(ツバメが南からやってくる時期になったと、マガンは北の故郷を思いながら雲に隠れて鳴くよ)という雑歌のほかはツバメの歌は出てこない。以前、このコーナーに書いたように、同じ万葉集にホトトギスの歌は150首以上詠まれている。ホトトギスとツバメの出現頻度はざっと150対1である。
 
枕草子の「鳥は」の章は、ホトトギスを鳥のなかの鳥と持ち上げて、「五月雨の短い夜に目覚めて、どうしても他の人より先にほととぎすが聞きたいと待っていて、夜遅くに聞こえてきた声の気品があってかわいらしいのは、ほんとに心引かれてどうしようもない(さくら的枕草子、口語訳)と述べている。一方、ツバメは枕草子のどこにも出てこない。

この極端な違いは何を意味するか。答えは明瞭である。奈良・平安の歌人たちにとっては鳥は見るものではなく、聞くものなのである。だから、百人一首の「ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる」(後徳大寺左大臣)という歌のように、夜通し待ってようやくホトトギスの初音を聞いたが、音の方向を見ても姿はなく、夜明けの月が残っているばかりだった、ということもある。

しかし、ツバメの鳴き声はたとえ初音でも夜通し待って聞くほどのものではない。だいたいツバメは、ホトトギスやウグイスのように鮮やかにはさえずらない。「虫喰って土喰ってしぶーい」という聞きなしどおりに、ツバメは渋い声でツピーツピー、シブーシブーとつぶやくだけである。人家に巣を作り、人に大事にされてきた野鳥ではあるが、歌の世界ではツバメはその声ゆえに冷遇されてきたように思われる。
# by morioka-k | 2007-04-21 19:44 | 自然
本末転倒の残業賃金割増率「引き上げ」案
報道によると、安倍首相は、今国会に提出予定の労働基準法改正案のうち、日本版ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)の通常国会提出を見送り、時間外賃金割増率の「引き上げ」だけを盛り込むことを指示したという。割増率は月80時間を超える残業について現行25%以上を50%に引き上げるものとされている。ただし、中小企業については適用を猶予し、施行後3年を経過した後に検討するということらしい。これは、伝えられる限りでは、何重にも理解に苦しむ提案である。

厚生労働省は、2~6か月を平均して月80時間を超える残業(時間外・休日労働)があると、過労死(脳・心臓疾患など)の発症との関連性が強くなるとしている。このことは月80時間を超えるような殺人的な長時間残業はそもそもあってはならないことを意味する。とすれば、まずなすべきは、36協定(時間外労働協定)の基準を改め、過労死・過労自殺を引き起こす恐れのあるような異常な長時間残業は認めないように指導・監督を強めることである(注1)。

総務省統計局の「労働力調査」(「労調」)によれば、2006年に、週60時間以上働き、法定40時間を基準に月80時間以上の残業をした労働者は、男女計で10人に1人(583万人)であった。同じ基準で、男性の常雇労働者は6人に1人、30代の男性に限れば5人に1人、また週35時間以上の30代男性に限れば4人に1人が、それぞれ月80時間以上の残業をしている。過労死ラインを超える長時間の残業をさせられている労働者がこれほど多数いるのは驚くべきことである。

しかし、大企業に限り月80時間を超える残業について割増率を50%に引き上げるという措置は、10人に1人の割合でさえ適用されない。規模1000人以上を大企業とすれば、大企業で働く者は、全労働者の5人に1人(2006年平均で5430万人中958万人、全体の18%)に過ぎない。月80時間以上の残業をしている者は先に述べたように全労働者の10人に1人である。今回提案されるという措置は、「大企業・80時間超」を条件とする限り、結局、50人に1人しか適用されないことになる。なんというけちな改定であることか。

大多数の企業に蔓延しているサービス残業(賃金不払残業)については今回の引き上げ案は放置している。サービス残業は、所定の賃金および割増賃金を支払うことなく、時間外および休日に労働をさせる点で、賃金不払いと割増賃金不払いの二重の違法行為であり、被害人数と被害金額からみれば最大の企業犯罪である。いま、早出、居残りを含め労働者が実際に就業した時間を集計した「労調」の労働時間(2179時間、短時間就業者を含む平均)と、企業の賃金台帳に記載された労働時間を集計した「毎勤」の実労働時間(1802時間、規模5人以上の事業所の平均)の差を単純に「サービス残業」とみなせば、その時間数は1人当たり平均年間377時間になる。異常な長時間残業の有効な規制のためには、このサービス残業の根絶こそが急務である。

2月7日の「日本経済新聞」の解説記事によれば、今国会に提出されるという残業賃金割増率の引き上げ案は、①大企業に限り、月80時間を超える残業については50%、②月45時間を超える残業は現行通り25%、③月45時間超から80時間以下は現行より高い率を労使で決める、という3段階に設計されているという。しかし、厚労省自らが過労死を発症させる恐れがあるとする月80時間以上の残業を、割増率の引き上げと引き替えに制度的に容認するというのは、本末転倒もはなはだしい。月45時間超から80時間以下は現行より高い率を労使で決めるというが、すでに現行の割増率が「2割5分以上5割以下の範囲内」(労基法37条)で労使が決めることになっていながら、実際には25%にとどまっていることを考えると、実効性はほとんど期待できない。

最後に長時間残業は、厚労省の「所定外労働削減要綱」も指摘しているように、労働者の心身に有害であるだけでなく、個人の自由時間や、家庭生活や、社会参加に悪影響を及ぼす。とすれば、現在の異常な長時間残業を是正するためには、なによりも残業の上限規制が先決条件である。残業の限度を確定せず、サービス残業の蔓延を放置したまま、割増率を引き上げても、残業の削減・抑制効果は期待できない。そのことを大前提に、私案ながら、労働時間制度の改革にあたっては、残業の限度をヨーロッパ諸国並に1日2時間、1週6時間、年間150時間(注2)としたうえで、近い将来に残業賃金の割増率を時間数にかかわりなく一律50%に引き上げることを目指して、当面の間、1か月24時間(注3)を超える残業について、一律50%に引き上げる措置を導入するべきである。


注1) 現行では、厚労省は、36協定で認められる労働時間の延長の限度を、1週15時間、2週27時間、4週43時間、1か月45時間、2か月81時間、3か月120時間、1年360時間としている。しかし、「ただし……の場合は」というかたちで特別条項に盛り込めば、たとえば1か月最大150時間、1年最大1000時間という延長もできる余地を残している。労働基準オンブズマンが大阪労働局に公開を求めた36協定の事例にはそれよりもっとひどい協定が少なからずあった(拙著『働きすぎの時代』岩波新書、156~57頁)。このような労働者の健康障害を招く恐れのある超長時間の残業を認める36協定を届け出た職場で、実際に過労死が合った場合は、その責任は当該企業だけでなく国(厚労省)にもある。したがって労基署はそういう協定は認めるべきでなく、当然受理すべきではない。そのことを明確にするように規制の基準を改めることが求められている。

注2) 1947年に制定された労働基準法は、18歳以上の女性の残業を1日2時間、1週6時間、年間150時間に規制していた。この規制は何度か緩和され、1997年の男女雇用機会均等法の改正にともない撤廃されたが、望ましくはこの規制が男性にも適用されることによって男女平等の前進が図られるべきであった。

注3) 育児・介護法は、時間外労働について、事業主は、育児や家族の介護を行う労働者が請求した場合には、1か月24時間、1年150時間を超える時間外労働をさせてはならないと定めている(法第17条、第18条)。1か月24時間はこの限度時間をも参考にしたものである。

# by morioka-k | 2007-02-07 03:19 | 社会
見間違ったルリビタキと姿を消したホオジロ
2月4日(日)、万博公園自然文化園にウォーキングをかねてバーディングにでかけた。咲き始めた梅園を抜けて、自然学習の森から野鳥の森へと歩く。

途中、つばきの森の近くの立木の枝を肉眼でじっと見上げている女性がいた。私に「ムギマキですか」と言う。「ジョウビタキの雌ではないでしょうか」と私。ちゃんと双眼鏡で捕らえているのに自信がない。すると、側で、枝から離れては戻るその鳥を双眼鏡で追っていた男性が「ルリビタキの雌ですよ。しっぽがうっすらと青いでしょ。ジョウビタキの雌なら羽根に白い点があります」と教えてくれる。

ルリビタキの雄は何度か見たことがある。瑠璃色をしているのは雄だけだということも知っていたはずである。それでもルリビタキは青(瑠璃)色だという思いこみがあって、瞬時には識別できなかった。

ルリビタキとジョウビタキはここの冬の常連であるしい。ここの冬鳥の常連は万博公園自然情報のサイトに出ている。冬鳥ではないが、ここの常連であるカワセミやヤマガラの姿は見なかった。水鳥の池に昨年の冬来ていたオシドリもどうやらこの冬は来ていないようだ。野鳥に数えてもらえない食いしん坊のコブハクチョウもどこかへか消えていた。

出会ったのは、先の二種とアトリを別として、コゲラ、エナガ、シジュウカラ、ツグミ、メジロ、カワラヒワ、シロハラ、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ヤマバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カイツブリ、アオサギ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモというあまり代わり映えのしない面々であった。

不思議に思うのは、出現頻度のもっとも高い野鳥に数えられているホオジロがいないことである。これは今回だけでなく、これまでここに来たときもそうだったように思う。日本万博博覧会記念機構のHPに出ている「万博公園探鳥会で観察した鳥」のデータをみてもホオジロの観察記録はきわめて少ない。そのデータによると、最近は(開園当初と違って)、キジやコジュウケイ、ホオジロなどの「草原の鳥が観察できなくなっている」という。森が成長し草原がなくり、餌となる雑草の種子もなくなったからであろうか。

願わくば草原の鳥も、水鳥も、もっと寄ってくる公園であってほしいものである。
# by morioka-k | 2007-02-06 16:55 | 自然
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